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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)1649号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して金五〇〇万円及びこれに対する昭和五四年七月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告は、昭和五四年七月八日当時早稲田大学法学部に在籍していた者であり、被告伊藤純治(以下「被告伊藤」という。)被告海江田敏彦(以下「被告海江田」という。)、被告清水正夫(以下「被告清水」という。)及び被告内田俊英(以下「被告内田」という。なお、右被告ら四名をまとめて「被告警察官ら」という。)は、右同日当時被告東京都の公務員で、被告伊藤、同海江田及び同清水は巡査として、被告内田は巡査部長として、警視庁武蔵野警察署警ら係に勤務していた者である。

2  (被告警察官らによる不法行為)

(一) 原告が昭和五四年七月八日午前五時ころ、原告所有の自動二輪車(排気量一二五cc、以下「本件車両」という。)の後部座席に知人を乗せて同車を運転し、通称公園通りを南進し、右道路と通称井之頭通りとが交差する武蔵野市吉祥寺本町二丁目一番地先路上に至ったところ、被告伊藤は、本件車両の前に突然飛び出し、警棒を持って大きく手を広げて原告の進路を妨害する状態で立ち塞がり、原告をして衝突の危険を感じさせ原告の意思に反して本件車両を強制的に停止させた。

(二) 被告伊藤は、右同日時ころ、右同所において、原告に対し、原告には運転免許証の提示義務がないにもかかわらず運転免許証の提示を強く求め、原告がこれを拒否したところ、何ら逮捕要件が存在しないにもかかわらず無免許運転により原告を逮捕することをほのめかし、このまま身分関係を告げず立ち去れば無免許運転のため逃走したとして逮捕されるかもしれないと原告を畏怖させて、学生証の提示をさせた。

(三) 被告伊藤は、右同日午前五時一五分ないし二〇分ころ、右同所において、原告が同所から立ち去ろうと本件車両を発進させようとした際、本件車両の風防を右手で、ハンドルグリップを左手で押さえてその発進行為を物理的強制力をもって阻止した。

(四) 被告伊藤の無線連絡で応援を要請された被告海江田、同内田及び同清水が右同日午前五時二〇分ころ右同所に到着し、被告海江田は、本件車両にまたがっていた原告の右腕を両手でつかんで捩じり上げて引っ張り、被告内田は、本件車両に近づくなり、被告海江田が捩じり引っ張っていた原告の右腕を取って替わり、柔道の逆関節に捩じり上げて背中に回し、さらにそれを引っ張り上げる形で暴行し、被告清水は、本件車両の左側面にまわり、原告の左腕を押さえ、つかまえ、引っ張るという暴行を加え、さらに被告警察官らは共謀して、原告の身体を押さえつけ後ろ手錠をかけて逮捕し、武蔵野警察署内留置場に同月一四日まで身柄を拘束した。

3  (被告らの責任)

被告警察官らは、前記2記載の各不法行為に基づき、被告東京都は、右被告警察官らが被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であるので、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ原告の被った損害を賠償する責任がある。

4  (損害)

原告は、前記2記載の各不法行為により、昭和五四年七月八日不法に逮捕され同月一四日釈放されるまでの間武蔵野警察署内留置場において監禁生活を強いられ、同年八月三一日不起訴処分が確定されるまで刑事被疑者の汚名をきせられたことによって精神的・肉体的苦痛を被り、また人権及び名誉の回復のため弁護士費用、運動費用、膨大な時間の費消を余儀なくされ、その損害額は金五〇〇万円を下らない。

5  (結論)

よって、原告は、被告警察官らに対し、民法七〇九条及び七一九条に基づき、被告東京都に対し、国家賠償法一条、四条及び民法七一九条に基づき、金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五四年七月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2(一)  同2(被告警察官らによる不法行為)(一)の事実のうち、原告が昭和五四年七月八日午前五時ころ、本件車両の後部座席に人を乗せて同車を運転し、通称公園通りを南進し、右道路と通称井之頭通りとが交差する武蔵野市吉祥寺本町二丁目一番地先路上に至ったこと、被告伊藤が、原告に対し、本件車両の停止を求めたこと及びこれにより原告が停止したことは認め、その余は否認する。

被告伊藤が、原告に対し停止を求めたのは、

(1) 原告が乗車用ヘルメットを着用せず本件車両を運転し、道路交通法(以下「道交法」という。)七一条の三第一項に違反していたこと、

(2) 本件車両の同乗者はヘルメットを着用していたが、運転中の者がヘルメットを着用せず、後部座席の者がヘルメットを着用している場合は、運転免許を有する後部座席の者が運転免許を有しない運転者を指導している無免許運転の例が多くあり、原告及び後部座席の者の年齢、運転時間帯が早朝であったこと等の状況から、原告に無免許運転の疑いがあったこと、

から、刑事訴訟法(以下「刑訴法」という。)一八九条二項及び警察官職務執行法(以下「警職法」という。)二条一項の規定に基づいて停止を求めたものであり、

その停止方法も、原告に対して警笛を吹鳴し、車道上に一、二歩出たところで停止を求めたところ、原告が右停止合図に従って任意に停車したものであり、適法、妥当な職務行為である。

(二)  同2(二)の事実のうち、被告伊藤が、原告に対し、運転免許証の提示を求めたことは認め、その余は否認する。

被告伊藤は、原告が道交法七一条の三第一項に違反し、行政処分の対象となり、その場において違反事実を取調べる必要性があったことから、原告に対し、現に携帯しているべき運転免許証の提示を求めたものであり、しかも原告には無免許運転の疑いがあり、その疑念が取扱いの過程で次第に高まってきており、右疑念を解明する必要性もあったことから、刑訴法一九七条一項及び警職法二条一項の規定に基づき、原告に対し、運転免許証の提示を求めたものであり、その方法も、原告に対し、任意の提示を求めたもので、適法かつ妥当な職務行為である。

(三)  同2(三)の事実のうち、原告が本件車両を発進させようとしたこと及び被告伊藤が本件車両の風防付近及びハンドルを両手で押さえたことは認め、その余は否認する。

被告伊藤は、原告に対し、運転免許証の提示を求めたところ、原告がこれを頑に拒否し続けたばかりか、本件車両を急発進させ、同車前付近で職務質問をしていた被告伊藤の右足に同車の前輪をぶつけて逃走しようとしたことから、警職法五条の規定に基づき、本件車両の風防及びハンドルを両手で押さえてこれを制止したものであり、また、原告に対する無免許運転の疑いは、取扱いの過程で次第に高まってきており、しかも、原告は、質問中に逃走しようとしたものであって、一層その疑念は濃厚となったのであるから、被告伊藤が、職務質問を継続する必要性及び緊急性があると判断して、警職法二条一項の規定に基づき、原告を制止したものであり、被告伊藤の右行為は、本件状況下においては、客観的に相当と認められるものであり、適法かつ妥当な職務行為である。

(四)  同2(四)の事実のうち、被告海江田、同内田及び同清水が、被告伊藤の無線での応援要請により、同所に到着したこと及び原告を後ろ手錠にかけて逮捕し、武蔵野警察署内留置場に同月一四日まで身柄を拘束したことは認め、その余は否認する。

被告伊藤の応援要請で、本件現場にかけつけた被告海江田は、原告に対し、再三運転免許証の提示を求め、その説得をしていたが、原告がこれを無視し、腰を沈めるような格好をして本件車両のアクセルを一段と高くふかし、今にも本件車両を発進させ、逃走するような態勢を示したため、このまま発進すれば、本件車両の前にいる被告伊藤にぶつかり、同人が傷害を負う危険性があったため、警職法二条一項及び同法五条の規定に基づき、アクセルグリップを握っている原告の右手を両手で押さえて引き離そうとしたものであり、これに対し、原告が、適法かつ妥当な職務行為を行っていた被告海江田の手を振り払い、右手を一旦引いた後、右手拳で被告海江田の胸部を突く暴行を加え、もって被告海江田の公務の執行を妨害したことから、被告警察官らは、原告を公務執行妨害の現行犯人と認め、かつ、原告が被告警察官らの再三の説得にもかかわらず、運転免許証の提示を拒み、住所、氏名を明らかにせず、本件車両を発進させ逃走しようとしたこと等から、原告には逃走及び罪証隠滅のおそれがあると判断して逮捕したものであり、被告警察官らの一連の行為は、適法かつ妥当な職務行為である。

3  同3(被告らの責任)の事実のうち、被告警察官らが被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であることは認め、その余は否認ないし争う。

なお、原告は、被告警察官らに対し、不法行為に基づき損害賠償を求めているが、被告警察官らが原告に対し個人として直接責任を負うべき筋合いはない。

4  同4(損害)の事実のうち、原告が昭和五八年七月八日逮捕され、同月一四日まで武蔵野警察署に身柄を拘束されていたこと及び同年八月三一日不起訴処分になったことは認め、その余は否認ないし争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  同2(被告警察官らによる不法行為)(一)の事実について

1  同2(一)の事実のうち、原告が昭和五四年七月八日午前五時ころ、本件車両の後部座席に知人を乗せて同車を運転し、通称公園通りを南進し、右道路と通称井之頭通りとが交差する武蔵野市吉祥寺本町二丁目一番地先路上に至ったこと、被告伊藤が、原告に対し、本件車両の停止を求めたこと及びこれにより原告が停止したことは当事者間に争いがない。

2  前記当事者間に争いのない事実、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告伊藤は、昭和五四年七月八日午前五時ころ、武蔵野市吉祥寺本町二丁目一番地所在の警視庁武蔵野警察署吉祥寺駅南口派出所入口前歩道上で、制服を着用して立番勤務をしていたところ、折から同所前の通称公園通りの反対車線側を二人乗りの本件車両が同派出所前方面に向け進行して来るのを発見し、運転者である原告が道交法所定の乗車用ヘルメットを着用していないことからその点の指導をしようと考え、また、後部座席同乗者(後に、小林廉一郎と判明、以下「小林」という。)だけがヘルメットを着用していること、原告及び小林の年齢が二〇歳位と見られたこと、早朝で比較的交通量も少なく無免許運転の多発する時間帯であること等から、原告が無免許である可能性もあると認め、その点につき職務質問を行うべく、直ちに同車の進路前方の同派出所前横断歩道上に出て、原告に停車を指示したこと。

(二)  原告の乗った本件車両は、右横断歩道付近の車道左端に停車したこと。

3  原告は、被告伊藤が、本件車両の前に突然飛び出し、警棒を持って大きく手を広げて原告の進路を妨害する状態で立ち塞がり、衝突の危険を感じさせ原告の意思に反して本件車両を強制的に停止せしめた旨主張するので、この点につき検討することとするが、本件の原告のように、乗車用ヘルメットを着用しないで自動二輪車を運転する行為は、道交法七一条の三第一項に違反し、かつ、行政処分の対象となる行為(道交法施行令三三条の二、別表第一)であるから、これを現認した警察官である被告伊藤が、本件車両の停止を求め、原告に対し右違反事実を指摘して注意、指導し、乗車用ヘルメット着用義務違反点数切符を作成すべきことはその職務上の義務であり、また、本件当時の状況下において、無免許運転の疑いを抱き、本件車両の停止を求め、警職法二条一項所定の職務質問を行うことも、交通の指導、取締りを任務とする者として職務上の義務であるから、被告伊藤が原告に本件車両の停止を求めることは、強制手段、すなわち、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて、強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ、許容することが相当でない手段にわたらない限り、必要性、緊急性などをも考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容される(最高裁判所昭和五一年三月一六日決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)ものと解するのが相当であるので、以下、被告伊藤が原告に停止を求めた行為が、右許容されるものであったか否かの観点から、原告主張につき判断する。

(一)  前記認定した事実、〈証拠〉並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告が走行してきた通称公園通りの車道の当時の幅員は、八ないし九メートルあったこと。

(2) 被告伊藤は、前記派出所前で、約六〇メートル前方を右派出所方面に向け進行してくる本件車両を発見し、原告に対し停止を求めるため、本件車両の進路前方の前記横断歩道上に一、二歩出て、本件車両が約三〇メートル手前にさしかかった時、警笛を吹鳴して手を上げ、停止を指示したこと及び被告伊藤が原告に対し停止を指示した時の横断歩道側の信号は赤であったこと。

(3) 原告は、当時本件車両を時速約四〇キロメートルで走行させており、被告伊藤が原告に停止を求めていることに気付き、右指示に従い、減速し、被告伊藤がいた横断歩道上付近に停止したこと。

(4) 被告伊藤は、原告が停止したのち、横断歩道側の信号が青にかわったので、右横断歩道を渡り、本件車両の停止場所にいったこと。

以上の事実を認めることができ、右事実からすると、被告伊藤は、横断歩道に一、二歩出ただけであり、公園通りのセンターラインを超えて原告の進行方向の車線に入って本件車両に正対するようにして停止を求めたわけではなく、かつ停止を求めた時の被告伊藤の位置は、原告主張のように本件車両の直前というものではなく、また原告は、被告伊藤の停止指示に気付き、ある程度余裕をもって減速し、停止したものと認めることができる。

(二)  してみると、被告伊藤が原告に対し、停止を求めた状況は、原告主張のように被告伊藤が、原告の進路の直前に飛び出して、原告に衝突の危険を感じさせ、原告の意思を制圧して強制的に急停車させたと認めることはできず、かえって原告は、被告伊藤の指示に従い任意に停止したものと認めることができ、被告伊藤が原告に対し停止を求めた行為は、前記2で認定した事実をもあわせ考慮すれば、停止を求めた目的、停止を求めた手段の必要性、停止を求めた手段の相当性の観点から、警察官の職務行為として、十分是認できるものといわなければならない。

(三)  なお、〈証拠〉中には、原告が、被告伊藤の存在に気付いたのは、その手前約一八メートルの地点であり、かつ被告伊藤は、原告の進路を妨害する形で、突然飛び出して来たので衝突の危険を避けるため止むなく急停止した旨の供述が存し、〈証拠〉にも、本件車両が急停止した趣旨の供述が存するが、〈証拠〉によれば、原告は、逮捕された後、武蔵野警察署及び検察庁での取調べの際録取された各供述調書には、被告伊藤に急停車させられた旨の供述は録取されていないこと、また請求人を原告、被疑者を被告伊藤、同海江田、同内田及び同清水とする付審判請求事件(東京地方裁判所昭和五六年(つ)第五号)において、小林は、被告伊藤が停止を指示してから、原告が停止するまでに少し間があった旨証言していることが認められ、また〈証拠〉中には、原告が減速しはじめたのは、停止する数十メートル手前である旨の証言が存するから、原告主張に沿う原告及び小林の供述は、被告伊藤本人尋問の結果に照らしてたやすく措信することはできず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

4  以上のとおりであるから、原告の被告らに対する請求原因2(一)の主張は、理由がない。

三  同2(被告警察官らによる不法行為)(二)及び(三)の事実について

1  同2(二)の事実のうち、被告伊藤が原告に対し運転免許証の提示を求めたこと及び同2(三)の事実のうち、原告が本件車両を発進させようとしたこと及び被告伊藤が本件車両の風防付近及びハンドルを両手で押さえたことは当事者間に争いがない。

2  原告は、被告伊藤が、原告の意思に反するのに、学生証を提示させた旨及び被告伊藤が物理的強制力をもって本件車両の発進を阻止した旨主張するので、この点につき検討することとする。

(一)  前記認定した事実、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 被告伊藤は、同人の指示に従い停止した本件車両まで歩いていき、原告に対し、乗車用ヘルメット着用義務の違反事実を指摘したうえ運転免許証の提示を求めたところ、原告は、運転免許証を携帯していたものの、本件車両に乗車しエンジンをかけたまま、自分には道交法上免許証を提示する義務がない、提示義務の法的根拠を示せなどと言って右要求を拒絶したこと及び被告伊藤が、原告の右対応から、無免許運転であるとの疑いを強め、さらに免許証の提示を求めたが、原告が強固にこれを拒否したこと。

(2) 被告伊藤は、右の間、原告が本件車両のエンジンをかけたまま、エンジンをふかして発進するかのような姿勢を示したこと及び現場が横断歩道付近であり、このままその場で職務質問を続けることは交通の妨害になると考えたことから、原告に対し、前記派出所への同行を求めたこと。

(3) これに対し、原告は、右派出所への同行を拒否し、現場を立ち去ろうとして本件車両のギヤーをローにいれ発進して若干前進し、同車両の前付近に立っていた被告伊藤の右足に同車両の前輪部をぶつけたこと及び右行為により、被告伊藤は全治約五日の右下腿部打撲傷を負ったこと。

(4) このため、被告伊藤は、身の危険を感じ、本件車両の風防を右手で押さえ、ハンドルグリップ付近を左手で押さえ、発進を阻止し、原告に対し、やめるよう説得したこと。

(5) その後も、原告は右同様の発進行為を二、三回行い、その都度被告伊藤は、原告に対し、本件車両の風防及びハンドルグリップ付近を両手で押さえて、その発進を阻止し、本件車両から降りるよう再三説得したこと。

(6) これに対し、原告は、被告伊藤に対し、同人が警察官であることにつき何ら疑いを抱いていないにもかかわらず、同人を挑発するように、「お前はにせ警察官だろう。警察手帳を見せろ。」と警察手帳の提示を求めたこと、被告伊藤は、原告の右要求に従い、警察手帳の表紙を示したこと及びこれに対し、原告は、被告伊藤に対し、警察手帳の中まで見せるように要求したこと。

(7) 被告伊藤は、原告の右のような対応から、このまま一人で対応することは危険であり、原告が無免許運転である疑いをより強め、このまま逃走するおそれもあったため、同日午前五時一〇分ころ、携帯の無線機で武蔵野警察署に「ノーヘルを扱っているが、無免許らしい。ぶつけて逃走しようとしている。」旨連絡し、応援を要請したこと。

(8) これに対し、原告は、このまま立ち去れば無免許運転のため逃走したとの嫌疑をかけられるのを恐れ、後部座席にいた小林に預けていた原告のバックの中から自己の学生証を取り出し、これを被告伊藤に提示しながら口頭で住所・氏名・身分を告げ、本件車両のギヤーをローに入れ、エンジンをふかしながら「もう急ぐから、どけ」等と述べて本件車両を発進させる動作をしたこと。

以上の事実を認めることができる。

(二)  ところで、本件の原告は、道交法上のヘルメット着用義務に違反している者であり、かつ、当時の状況下において、無免許の疑いが存した者であったのであるから、被告伊藤が原告に対し運転免許証の提示を求める行為自体は、行政処分の必要上、また、職務質問の内容をなす行為、あるいは職務質問に必要な行為として許されるべきものであり、その場合、有形力を行使することが全くゆるされない訳でなく、その手段として、強制手段にわたらない限り、必要性、緊急性などをも考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解するのが相当であり、右職務の執行中に、対象者が警察官の身体に危険が生ずるおそれがある行為をしようとする時には、その行為を制止することができる(警職法五条)ものと解されるところ、本件の場合、原告は被告伊藤の運転免許証の提示要求に対し、前記認定のような対応でもって右要求を拒絶したのであるから、前記二2(一)で認定した停止を求めた際の事情とあいまって無免許運転の嫌疑が濃くなったと言えること、前記認定したように被告伊藤の制止行為の態様も、原告が発進動作をする都度本件車両の風防及びハンドルグリップを両手で押さえたにすぎず、また右制止は、本件車両前にいた被告伊藤自身の身体の危険を避けるためやむをえずなされたものと評価することができること及び制止していた時間もせいぜい一〇分程度のものであることからすれば運転免許証の提示を求めた行為及びそれに伴う本件車両の発進を制止した行為は、その目的、手段の必要性及び手段の相当性の観点から、いまだ職務の執行のために必要な有形力の行使として許容される限度を逸脱したとまでいうことはできない。

(三)  なお、〈証拠〉中には、被告伊藤とやりとりをしている間、本件車両を発進したことはない旨の供述が存するが、〈証拠〉によれば、原告は、検察庁での取調べの際、本件車両を一メートル位発進させた旨供述したことが認められること等前掲各証拠に照らしこれを措信することができず、また、身分関係を明らかにせずして立ち去れば、無免許運転のため逃走したとして逮捕されるかも知れないとの危惧からやむなく学生証を提示した旨の供述が存するが、仮に右供述のとおり危惧の念を抱いたとしても、それは自己の被告伊藤に対する対応から、当時の状況下において、客観的に無免許の疑いが濃くなった故のもので、自ら招いたものであり、かつ前記認定した事実のもとでの原告の危惧の念の程度は、原告の意思を制圧する程度に至ったものと評価することは到底できない。

3  以上のとおりであるから、原告の被告らに対する請求原因2(二)及び(三)の主張は、理由がない。

四  同2(被告警察官らによる不法行為)(四)の事実について

1  同2(四)の事実のうち、被告海江田、同内田及び同清水が、被告伊藤の無線による応援要請により、同所に到着したこと及び原告を後ろ手錠にかけて逮捕し、武蔵野警察署内留置場に同月一四日まで身柄を拘束したことは、それぞれ当事者間に争いがない。

2  原告は、被告海江田、同内田及び同清水が、原告に対し暴行を加え、さらに被告警察官らは共謀して、原告の身体を押さえつけて後ろ手錠をかけて逮捕した旨主張するので、この点につき、検討することとする。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 被告伊藤の応援要請により、自転車で本件現場に駆けつけた被告海江田は、横断歩道付近に本件車両が止まっており、被告伊藤がその前で本件車両の風防付近を押さえ、原告が本件車両のアクセルをふかしながら、何か大声で怒鳴っており、今にも発進しそうな状況を現認し、被告伊藤の左側に行き、原告に対し、エンジンを止めるよう警告したこと。

(2) 一方、被告内田及び同清水は、被告伊藤の応援要請により本件現場に、パトカーで急行したところ、横断歩道付近に本件車両が停止しており、被告伊藤がその前で必死に風防付近を押さえ、原告が本件車両のアクセルをふかしながら、何か大声で怒鳴っていたことから、原告が被告伊藤を押しのけて発進し、逃走する危険を感じ、パトカーを本件車両の前につけるようにして停車させたこと。

(3) そして、被告内田は、パトカーから降車後、直ちに、被告伊藤の左脇に行き、本件車両のアクセルをふかしながら「どけ。」などと大声をだしていた原告に対し、「危ないからバイクのエンジンを切りなさい。」と警告したあと、被告伊藤から今までの取扱い状況の報告を受けたこと。

(4) この間も、原告は、被告内田の右警告を無視し、本件車両のアクセルをふかしながら、「どけ。」などと大声で怒鳴っていたこと。

(5) そこで被告内田は、原告の横に行き、原告に対し、再度エンジンを切ること及び興奮しないで運転免許証を見せることを説得したが、原告は、見せる必要はないと言って、右説得に応じなかったこと。

(6) 被告内田は、その後も、原告に対し、エンジンを切ること及びアクセルをふかすのを止めることを再三にわたり説得していたところ、原告が、本件車両のアクセルを一段と高くふかし、腰を沈めるような格好をしてまさに発進するような態勢を示したこと。

(7) そこで、被告海江田は、このまま本件車両が発進すると、同車にいる被告伊藤にぶつかり、同人が怪我をするおそれがあったことなどから、本件車両の発進を制止するために、本件車両のグリップを握っている原告の右手を両手で押さえ、引き離そうとしたところ、原告が「何をするんだ。」と言いながら、右手で被告海江田の手を振り払い、その手を前に突き出すような形で、右手拳で被告海江田の胸部みぞおち付近を突いたこと及び原告の右行為により、被告海江田は、全治一〇日間の胸部打撲傷を負ったこと。

(8) このため、被告内田は、原告に対し、同人の右手を押さえ、「公務執行妨害で逮捕する。」と告げて、本件車両から降りるように促したところ、原告は、被告内田の手を振り払い、「何で逮捕されなきゃいけないんだ。」などと怒鳴りながら、両手を振り回し、被告内田が再度取ろうとした手を振り払い、また本件車両のハンドルにしがみついて暴れたこと。

(9) そこで、被告内田は、原告の右腕を、被告伊藤は、原告の左腕をそれぞれ後手にとって制圧し、被告伊藤が手錠をかけ、同日午前五時一五分ころ原告を逮捕したこと。

(10) 右逮捕の際、被告海江田は、本件車両の前で、本件車両が倒れないように押さえていたこと。

以上の事実を認めることができる。

(二)  右認定したとおり、被告海江田は、本件現場に到着後、原告に対し、エンジンを切るように再三にわたり説得し、被告内田もエンジンを切ること及び運転免許証を提示することを説得していたが、原告がこれを無視し、本件車両を発進させるような態勢を示したことから、被告海江田は、本件車両の前にいる被告伊藤が傷害を負う危険性があると考え、アクセルグリップを握っている原告の右手を両手で押さえたものであり、当時の状況からして、右行為は、道交法の乗車用ヘルメット着用義務違反に基づく警察官としての職務執行行為、無免許運転の疑いに基づく警職法二条一項の職務質問行為及び警職法五条に基づく職務行為として、その目的の正当性、手段の必要性及び緊急性並びに手段の相当性のいずれかの観点からも、充分許容できるものであり、また、その余の被告警察官らの逮捕行為は、被告海江田の右の適法かつ妥当な職務行為に対して原告が抵抗した際に、原告の右手が、被告海江田の胸部みぞおち付近に当たったことから、右原告の行為を、被告警察官らが、被告海江田に対する暴行と認識し、公務執行妨害として逮捕するに至ったものであり、仮に原告に暴行の意思がなく、偶然に右事態が生じたものとしても、被告警察官らが、右原告の行為を暴行と認めたことは、当時の状況下においてはやむをえないものであり、右逮捕行為を違法な行為とまではとても評価することはできない。

(三)  なお、〈証拠〉中には、原告の右手が被告海江田の胸に当たったことはない旨の供述が存し、証人小林の証言中にも、これに沿う供述が存するが、〈証拠〉によれば、小林は、武蔵野警察署での取調べの際、原告が公務執行妨害で逮捕される前に、原告の右手が、警察官の体のどこかに当たった旨の供述をしていること及び前記付審判請求事件において、本件当時原告と被告警察官らとのやりとりを見ていた阿保隆一が、原告が被告海江田の手を強めに振り払い、その際原告の手が被告海江田の体のどこかに当たった旨の証言をしていることが認められ、〈証拠〉によれば、被告伊藤、同海江田及び同内田は、本件事件発生当初から一貫して、原告が、被告海江田の手を振り払い、同人の胸部を殴打した旨の趣旨の供述していることが認められる等前掲各証拠に照らし、右原告及び小林の供述は措信することができない。

3  以上のとおりであるから、原告の被告らに対する請求原因2(四)の主張は、理由がない。

五  (結論)

以上の事実によれば、原告の被告らに対する本訴請求は、いずれも失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井眞治 裁判官 三輪和雄 裁判官 蜂須賀太郎は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 荒井眞治)

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